された形で届く。その隙間をぬってタブロイド紙なんかがこぼれたネタ
や裏読みを掲載して、私みたいな馬鹿者が読むわけだが、それだって
結局はフィルターがかけられていて、ダイレクトに手に取れるわけでは
ない。
残酷写真なるものを、何気なく手にとった。
出版ベースにのているのだから、どれほどのものかとタカをくくって
いたら、呆然として立ち尽くしてしまった。商業主義の中枢にいない
出版社だからこそ刊行できるのであろうが、それでもまだ載せられ
ない写真があったり、現実はまだこの後ろに累累と続くのだと思うと、
絶望という言葉では言い表せない感情が全身を包む。
一時期、浮世絵の画集をよく眺めていた。
馬鹿者のやることだから広重や歌麿の正統なものばかりではなく、
北斎や国芳、河鍋暁斎の奇奇怪怪なものから春画なども含めてだが、
月岡芳年などの残酷絵も、喜々として手にしていたものだ。
ここでも何度も書いているように'90年代以降の”まるこいマンガ”
は、あまり好きではない。何もかも嫌いだという事はないし、
好きな作品ももちろんあるが、やはり人間臭さがないものは多い
と感じてる。
この人間臭さとは、人情など味のある温かみではなく、生きた
生物の嗚咽や血なまぐささ、性の葛藤の方を指す。
月岡芳年の全貌展―最後の浮世絵師ー最初の劇画家 (1977年)
劇画などの迫力ある絵から、そんな臭いをより感じる事が私が
そうした古い作品に魅かれるわけだが、芳年の残酷絵などを好むの
もそれと地続きの感情とも言えるだろう。けれども、それらは
やはり絵や作品であって、現実をそのままうつしているのとは違う。
リアリティと現実という言葉はまったく異なるもので、実際の「磔」
「さらし首」「虐殺」「殺人」などの写真を見ると、そこに
劇画や残酷絵から感じる美や興奮といったものはまったくわきあがら
ない。
武士の世や戦争は実際に知らない世代だから、現代に入ってから
の事件により恐怖を感じる。
「小平事件」や「阿部定事件」の写真がそうで、自分の生きる時代
に実際に起こった事件と重なり、負の感情がとめどなく連なっていく。
具体的に例をあげれば綾瀬女子高生コンクリート殺人事件や最近で
いえば名古屋の闇サイト殺人事件などがそうだ。この事件の呼称を
書きながらも、ひどい頭痛と吐き気に見舞われている。
残虐、奇怪な創作物などが好きである一方、実際の事件などにも
興味がある。
悪いことに私は、体のバランスもそう良いとは言えないが精神の
バランスの取り方はそれ以上に不得手らしい。だから目を覚まし、
仕事か趣味かに没頭している以外の時間は、こうした不均衡に
悩むことが多い。それが自分の興味によって引き起こされている
のだから、まったく始末におえない。
嗜好をつくるのは脳の機能だとも言うから、いっそロボトミー手術
でもしてもらって、根こそぎそうした興味をはぎとってもらった方
がいいような気もする。
山上たつひこの『王道楽土の落日』という作品は、小平事件の犯人、
小平義雄をモデルにした半パロディのようだ。
作品だけを眺めるとそう大したものでもないが、山上が(絵柄は
別として)骨太のシリアスなストーリーから結局はギャグへと
軸足を移す精神性を考えると興味深い。
いろんな考え方やスタイルがあるが、自分の主義主張や精神性までも
パロディ化して作品をつくるというのは、商業主義とは別の次元で
大切な創作の在り方の一形態であることを覗い知ることができる。
人間共の神話 (単行本未収録傑作選 3)
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